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【第029号】はじまりはそこから

HOPE会員の皆様
新年明けましておめでとうございます。
今年も1年よろしくお願いします。

昨夜からの雪は、今なお降り続いております。
ちなみに、20センチは積もってます。あさのです。

HOPE会員MLは、コラムで始まりコラムで終わる。
ということで、今年初のMLはコラムがゲットします!

さて、前回で一応の区切りがついたコラム。
今回からさらにパワーアップしてスタートします。

それにともなって、以下の様にいろいろとシステムを変更します。

・連載というシステムは変わらないが
「1テーマ6回」に限定はしない。
・テーマと連載回数は
執筆者である理事長の独断と偏見で決める。

以上が大きな変更点です。

それから、言うまでもありませんが

「今回も面白い出来になってます^^」

では、新年第一弾のコラム
スタートです!!

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どうも!

あけましたおめでとうございます。

理事長のまとばです^^

お年玉企画ということでコラムをドドーンと2010年いっぴから
投げさせてもらってますよー。

コラムのお時間。
新章突入です!

毎回大好評のこのシリーズ。
お褒めの言葉をたくさん聞かせてもらってます。

さて、いきましょう!
テーマはこれだ!!

●● 第1回『考えれる葦』  〜 はじまりはそこから 〜 ●●

「人間は考える葦である」

数学者であり哲学者のブレーズ・パスカルさんの有名な言葉ですね^^

意味はこちら。

「 有名な「人間は考える葦である」とは、
人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、
考えることによって宇宙を超える、
というパスカルの哲学者としての宣言を表している。

それは人間に無限の可能性を認めると同時に、
一方では無限の中の消えゆく小粒子である人間の有限性をも
受け入れている。 」

( ウィキペディア「パスカル」参照 ※URL長いので省きます )

これ、僕の大好きなフレーズなんです。

中学生のころ、ちょうど自然の雄大さと比較された自分たち人間の
ちっぽけさを感じてた高弘(まとば)少年にはかなり響いた言葉でした。

「考えることによって宇宙を超える」

いやー痺れます。

思想は無限。
ゆえに人間は無限。

だが人間自体はやはり葦という矮小な存在あることは拭い去れない。
ゆえに人間は有限。

無限に対して有限という矛盾をうまく織り込むことで
考えることの重要性をより一層強く説いてます。
(人間は有限でもあるから、やはり考えることで無限の可能性を広げる
必要がある、の意が汲み取れることから)

しかし考えてもみてください。
正確に言うと矛盾ではないのですが矛盾のように聞こえます。

「無限」なのは可能性で、「有限」なのは存在ですよね^^
あたかも矛盾のように言葉遊びをしているあたりが
考えることが好きなタイプを惹きこんでて凄く上手ですよね。

いやー痺れます。

ちなみにここで思想が本当に無限か、人間は本当に矮小か、
など疑問を感じたら読むのをやめて考え続けてください。

とりあえず僕は話を進めていきます^^

…はい、ここまで。

「考えること」が苦手な人いませんか?

ドキっとした人も少なくないはず^^

今ここまでの部分を理解しないままに読み飛ばしてきた人は
そうかもしれませんw
実はちょっと「ん?」と読み返すような
内容を書いた(つもり)なのです。

胸に手を当てて自問してみてください。
「もっと考えろ!」とか言われたことある人はまさにビンゴです。

これはいかんです。

「考えること」
自分を突き詰めていくうえでこれほど大事な要素はありません!

せっかくなので「考える」とは。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

(1)物事について、論理的に筋道を追って答えを出そうとする。
思考する。

「いくら—・えても解けない問題」

(2)さまざまなことを材料として結論・判断・評価などを
導き出そうとする。

「転勤の件は少々—・えさせて下さい」
「子供の将来を—・えて厳しく育てる」

(3)(形容詞・形容動詞の連用形に付いて)それが…である、
という感情や評価をもつ。…だと感ずる。

「あまり堅苦しく—・えないで下さい」
「一度の失敗を重大に—・えなくてもよい」

(4)結論を出すための材料の一つとみなす。

「相手の都合を—・えると無理は言えない」
「道の混雑を—・えて早めに出る」

(5)計画する。意図する。

「人員削減を—・えている」

(6)工夫して新しいものを作る。

「この機械を—・えた人は天才だ」
「いいことを—・えた」

(7)罪を問いただす。処罰する。

「(閻魔(えんま)ノ庁デ)—・へられつる事ども、
ありつる有様/宇治拾遺 8」

(8)比較検討や占いの結果に基づいて判断する。

「宿曜の賢き、道の人に—・へさせ給ふにも/源氏(桐壺)」

※考える葦(あし)
パスカルの「パンセ」の中の言葉。
「人間は自然のうちで最も弱い葦の一茎にすぎない、
だがそれは考える葦である」として、
自然において脆弱(ぜいじやく)だが思考する存在としての
人間の本質を表現したもの。

(goo辞書「考える」 参照)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

こんなにも種類があるんです。
それはイコール「考える」ことの親しみや使用頻度
とりわけ重要性を示していると考えていいでしょう。

しかも。ここにも出てきました、パスカル。
そう、注目すべきはここなんです。

「人間の本質は思考する存在である」

明言されています。名言ですね。

誰かや何かからメッセージを受けたとき
何かにつけてこういう癖をつけておくのがよいかと思います。

自分の中に入れるつまり自分に響くメッセージであるように
自分に置き換えて考える。
そう「変換」することが大事なのです。

「変換」とは「別のものに変えること。また、変わること。」
つまり外からの言葉であっても自分だけの唯一のものに
変えるということですね。

( ちなみにたまたまですが「変」も「換」もチェンジですね^^
おもしろ!いや、たまたまじゃないのだろうか。
尚更おもしろ! )

変換の素晴らしさをここで説いておきましょう。

「すきや」

と言われても

「好きや」なのか「すき屋」なのかわかりません。
「数寄屋」かも知れません。普段使わねー。

同じ言葉の上でも変換が不可欠なことはお分かりかと思います。

これはただの文字の変換の例ですが
「自分(こっちの都合)に落とす」という点では一緒ですよね^^

これが思想など意味の深いものの場合だと変換なしではもう大変。
右から左と同じになってしまい響かないことになってしまいます。

そしてさらにその上で自分に落とす段階で生まれてくる感情。
これが大事なのです。

「なぜ」

メッセージをより響かせるために自分に置き換えて変換する。
変換する過程で「なぜ」が生まれてくる。

この「なぜ」を繰り返すこと。
つまり疑問を持ち探求していくこと。

これをしてるかしてないか。

考える人はこれが上手です。
(往々にして考えすぎて腰が重い人が多いですがw)

なぜ、僕がチェンジのあとにこの「考える」ことを
テーマにもってきたのか。
なぜ、テーマが「考え『れ』る葦」なのか。
なぜ、言葉の羅列なのにその人の想いや人となりが見えてくるのか。

なぜ、はたくさんありそうですね。

ちょいと考えてみてください^^

そこからはじまります。

…今日の話はここでおしまい^^

次回もお楽しみに!!

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