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【第102号】社会を変えるには

HOPE会員のみなさま
こんばんは!
コラム担当の内牧です!

今回の理事長コラムのテーマは前回に引き続き、
『社会を変えるには』です!
それではどうぞ!

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前回では、社会を変えるためにはどうしたら良いのかな、
という疑問を投げかけたところで終わりましたね。

まずは、僕の主張を先に言っておきますが、

「社会を変える」

ということはおそらく難しい。

そして、極端な言い方をすると

“それは出来ない””

というふうに思っています。

社会を変えるにはというテーマで
コラムを書き出しているのに、
なんということだ!と思うかもしれませんが、
でもそう思ってしまうんです。

もう少し補足をしますね。
「社会を変える」ことは出来ないけれど、

“”社会は確実に変わっていく””

ということが言いたいのです。

ほとんど言葉遊びにはなるのですけれど、
ここの認識は大きいとも思います。

例えば、前回にも取り上げた首相官邸前での大規模なデモや、
全国各地でも行われている反原発デモがあります。

本で読んだところ、3.11以降もしばらくは
政治家の中で反原発を掲げる人や
政党全体として反原発を訴えることは
少なかったようなのです。

でも、この大規模なデモが
行われるようになってからは
各々の政治家も政党全体としても
原発推進!と声高には言えないように
なってきているようです。

これは日本の民主主義の流れからして
かなりすごいことらしいです。

もともと日本は政治に国民が
あまりコミットしない土壌です。

ヨーロッパやアメリカなどは
国民全体が政治に参画するのは
当然だと思っているので、
デモが盛んに行われていますし、
デモ=怖いもの・危険なもの
という認識ではないのです。

今までデモ=怖い・危険と感じてきた、
また政治にそこまでコミットするのは
どうだろうと思ってきた日本の国民が
(もちろん個人差はありますよ。)
全国的にデモを行い、
政府に対して強い主張を行っているのは、
そりゃあすごいことです。

そしてその行動が実際に政府を動かそうとしている。

これはある意味で、
「社会を変えた」と思いますよね。

もう1つ例えを出すと、
1960年代周辺の今よりも激しく
社会と激突していた学生運動などの
大規模 なデモがあります。

社会の認識として、
この時代の運動は
社会を変えられなかった

となっていると思います。
(何を基準に変わったかとかはここでは置いておきましょう。)

この2つの運動の違いはなんなんでしょうか。
運動に参画している人の戦略や行動力の違い?
訴え掛ける主張のもっともらしさ?
参画している人の人数?
取り上げられている問題の重要さ・申告さ?

僕はあまり違いはないと思います。
それにもしここで違いあったとしても
そこまで影響はないと思います。

つまり、1960年代ではそのデモや運動で
社会が変わるタイミングではなかった、
期が熟していなかったんだと思うのです。

逆に今の2012年の段階では
国民が政府に対して声を挙げることで
社会が変わるタイミングであった、
そのような社会にいつの間にか変化していたということです。

それは具体的にはどういうことなんだろう。
社会がいつの間にか変化していたってどういうこと、と思われるでしょうね。

ここからはまた次回にゆっくりと考えていきますね。

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