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【第111号】心とは何か

HOPE会員のみなさま、おはようございます^^
ML担当の竹田です。

今回の事務局員コラムは、高橋竜太による
「心とは何か」です。

それではどうぞ!

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みなさまこんにちは。

今春のGASで一番心に残ったのは、ギャザのキャンプファイヤーの時、
全体で一人ずつ番号を叫んでいくという流れがあったのですが、

事務局員の斉藤あかねちゃん一人だけすげえがらがら声で
「な゛な゛ぁー(7)」と言ってしまったのにもかかわらず
誰も突っ込まなかった場面です。

僕とゆうへいはめっちゃ笑いました。
高橋竜太です。

突然ですがみなさんに質問です。

「心」とはなんだと思いますか?
それは、何をするところですか?
それは、どこにあるものですか?

これまでの人生の中で、誰もが一度考えたことがあるのではないでしょうか。

僕は普段小学生を相手にしているので、

「心ってなんだろう」ということをいつも考えさせられます。

今回は、タイトルにあるように「心とは何か?」について、
少しだけかじったことのある心理学の要素を交えてお話ししたと思います。

まず、次の問題について考えてみてださい。

「サリーとアン課題」
1. サリーとアンが、部屋で一緒に遊んでいました。
2. サリーはボールを、かごの中に入れて部屋を出て行きました。
3. サリーがいない間に、アンがボールを別の箱の中に移しました。
4. サリーが部屋に戻ってきました。
5. 「サリーはボールを取り出そうと、最初にどこを探すでしょう?」と被験者に質問する。

これは、3・4歳児向けの課題です^^
みなさんは、サリーがどこを最初に探すのかすぐにわかると思います。

正解はかごの中です。

アンがボールを箱の中に移したところをサリーは見ていませんからね。
ですが、ほとんどの3歳児はこの課題に「サリーが最初に探すのは箱の中」と答えてしまうのです。

このような、
他者の考えを予測する、他者が自分とは違う信念を持っているということを理解する能力を
「心の理論」といいます。

この心の理論の発達は、
脳の前頭前野(記憶や学習と深く関連する脳)の発達と関係づけられていて、
4~5歳になると、サリーとアン課題のような「相手の立場にたって考える」問題に
正解できるようになります。

心の理論は段階的に成長していき、以下のような分け方をすることができます。

■一次の志向意識水準
=私は~~を思う

■二次の志向意識水準
=私は思う、
あなたが~~を思っている のだと

■三次の志向意識水準
=私は思う、
私が~~を思っていると
あなたが思っている のだと

■四次の志向意識水準
=私は思う、
あなたが~~を思っていると
私が思っていると
あなたが思っている のだと

■五次の志向意識水準
=私は思う、
私が~~を思っていると
あなたが思っていると
私が思っていると
あなたが思っている のだと

段階が上がるごとに、「相手が~思う」「私が~思う」の予測が
交互に一つずつ増えていくイメージです。

単純な昆虫やコンピューターなどは、
自意識以前の「ゼロ次の志向意識水準」とみなされ、「私が~を思う」という段階すらない、
「心のない存在」と位置付けられています。

普通の人は、五~六次の志向性レベル把握が可能です。

三次の志向水準だと(中学生・思春期ぐらい)
「僕があの子のことが好きなのを、君が知っていることを、僕は知っている」
みたいな感じから、

五次の志向水準になると(成人以降?)
「僕があの子のことが好きなのを、君が知っていることを、僕は知っているということを、やっぱり君は気づいていて、僕もそれを知っているから…」

………なんか勝手に切ない感じになりましたが、

つまり「相手の考えをよむ」というレベルがより深く、複雑になっていくということなのでしょう。
夏目漱石の名著「こころ」には、そのあたりのことが実に巧みに表現されていました。

よく子供が悪い大人にだまされたり、利用されたりということがありますよね。

あれも、心の理論の発達がまだ未熟な子供が、
より先を読める大人たちにいいようにもてあそばれるということなのでしょう。

さてさて、長々と書きましたが、最初のテーマに戻ります。

心とは何か。

今までに簡単にお話しした心の理論は、実は人間にしかないものなんだそうです。
(チンパンジーなど類人猿にもあるという説がありますが、物議を醸しています)

愛情というのはどんな生物にもあるものだと思います。
親子の愛、雄雌の愛、仲間同士の愛。
これらは人間に限ったものではありません。

がしかし、生物の多くは、自分に近い生物以外に「思いやる」「配慮」「相手の立場に立つ」
ということはしません。

厳しい生存競争に勝つためには、相手の立場を考えていては生きていけないからです。

そこで人間は、特異な性質を持って現れます。

数多く生物のなかで、高い知能とともに、遠く離れた仲間や違う生物に対して、
さらに生物ではないものに対しても「相手の立場の理解・共感」をするという能力を
持つに至りました。

それにはいったいどんな意味があるんでしょうか。
なんか難しいことを考えるときりがありません。

僕は、心とは、「自分とは違うものの立場に立って想像する能力」ではないかと思っています。
国際・環境・教育・医療・政治、その他いろんな分野において、
この能力は必ず関連してくると思います。

これはめっちゃ抽象的で論理性がない意見ですが、

僕は子どもについて考えるとき必ず、なんかこう、胸の中がジーンと熱くなる感覚があります。
なので、心は心臓のあたりにあるんだと思っています。

カンボジアなどのことを考えても同様に、なんか胸がジーンとする感じがあります。

この胸のジーンを大事にして、
将来は子ども・海外をキーワードにして生きていきたいと考えています。

ジーンは心が動いている証拠だと思うんよねー。
みなさんもそんな経験ありませんか?^^

なんだかうまくまとまりませんが、僕の考える心の話は以上です。
質問・疑問・感想などありましたら、ぜひぜひ送ってください☆

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