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【第128号】ボーダーレス教養人のススメ(後編)

HOPE会員,理事長ファンのみなさま
お待たせ致しました♪

理事長コラム『ボーダーレス教養人のススメ(後編)』です。
それではどうぞ!

***********

昨日の前編では、「ボーダーレス教養人のススメ」の
ボーダーレスについて話しました。

今日の後編では、まず教養について説明していきます。

ところで、そもそも教養とはなんでしょうか。
僕の解釈だけでは、頼りないのでここでも引用させてもらいます。

元大阪大学総長である鷲田清一(わしだ きよかず)は
『パラレルな知性』という著作の中で、
「教養に明確な定義はない。」としたうえで、
「教養とは博学であること、広い知識にもとづき、
ものごとを多視点から眺められる能力」と続けています。

このコラムでも、教養とは何かという明確な定義はおいておき、
多視点から眺められる能力という位置づけで留めておきます。

そして、同著の中で鷲田清一は<知識>としての教養ではなく、

<技術>としての教養が必要であると説明し、こう続けます。

「複眼をもつこととしての「教養」は、
同時代の社会の全体を遠近法的に見るということである。
これはじぶんが立っている位置を、より大きな
パースペクティブのなかで見定めるということである。
(中略)
つまり、人が絶対に見失ってはならないものと、
あってもいいけどなくてもいいものと、
端的になくてもいいもの、
絶対にあってはならぬものとの区別を、
さしあたり大括りに掴むことができるということである。」

つまり、ただ博識であることや、大学の教授のように
専門分野について深い見識を持っているだけの状態は
<知識>としての教養であり、そうではなく、
それらをもとにして今の時代の社会で起こっている事象を
より大きな視点・見方(ある意味超越的な思考)で捉え直していく。

そうすることで、<知識>が実際に自分の生きる社会と結びつき、
現実の事象を解決していくためのツール、
いわば、<技術>を持つことが出来るということです。

そして、その<技術>としての教養に必要不可欠なのは「哲学」であり、
「言語化された哲学」と「非言語な哲学」の2つが必要だと僕は思います。

「言語化された哲学」とは、
「正義」や「真理」などを明確にしようとするもので、
一般的にイメージされる「哲学」と同じものを指します。

「非言語な哲学」とは、
まだ言語化できるほど明確なものとはなってはいないが、
現代の問題や事象の本質を捉えた感覚やビジョンなどで、
これが「アート(芸術)」だと僕は考えています。

数千年前から考え続けてきた、人間とは
生や死とは何かという「言語化された哲学」。

複雑に絡み合った現代の社会とそこにたつ
「私たち」の本質を感覚的に読み取る「非言語な哲学」。

この2つを有したものが「教養」なのだと思います。

ボーダーレスで全知全能の興奮を謳歌できる能力に加えて、
上記の「教養」を兼ね備えていれば、
現代の社会で既に起きている科学や技術の進化が
人間の本質を脅かすような事態
(ES細胞やクローン人間、AIロボットなど)や、
人間の経済活動が地球の限界を超えるという
異常事態を回避できるのではないでしょうか。

とても壮大な話のように聞こえるかもしれないので、
最後に1つ身近な例を出して終わりますね。

鹿児島県屋久島町口永良部島(くちえらぶじま)
という人口150人の島があります。

以前、この島の方とお話する機会があったのですが、
「人口が150人しかいないので、
それぞれが複数の仕事を掛け持ちしているんだ」
とおっしゃっていました。

農家であり、理容師でもあり、塾の先生でもある、
といった感じでしょうか(適当ですいません)。

これは、小さな島の方だけの意見ではなく、
学生時代から熊本県の地域の活性に取り組んできた
九州大学専任講師の田北雅裕(たきた まさひろ)さんも、

「集落である役割・職業を担ってきた方が亡くなると、
必然的にその仕事を誰かが代わりに担わなくては、
集落の生活は回っていかないんです。」とおっしゃっていました。

つまり、今後の日本(他の先進国も含む)では人口が減少していくため、
分業・分断的に仕事をすることが難しくなっていくということです。

よって、自然と複数の仕事を掛け持ちする必要が生じ、
そのためには、全く別の知識を獲得し、
異分野の人と繋がる必要が出てくるのです。

長々とボーダーレスだ!全知全能だ!と説明しましたが、
これからの数十年の間に時代の流れで築かれてきた様々な壁が
「勝手に」フラットになっていき、そこに生きる僕たちも
今までは無関心だった分野や事柄にも
積極的に興味を持つ必要が出てくるのかもしれません。

もちろん、知れば知るほどわからないことだらけだとは思いますが、
この面白い時代に生まれたからには、
どんなことにも「知る楽しさ」を感じていけたらなと思います。

とても長くなりましたが、読んでいただきありがとうございました。

参考文献
『パラレルな知性』 鷲田清一 晶文社
『広告』 博報堂

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